チョウキジェ監督続投も決まりました。ここ最近のサポーター席も若い人が多いです。そんな最近のサンガを応援する方には、サンガの歴史が監督交代の歴史と言っても良い位の交代を知らない方も多いと思います。そんな方のために監督の歴史を紹介したいと思います。でもその中には何回も交代のひどい歴史がありました。今のような良い事は無く殺伐とした時もあり、その度にひどい監督交代の歴史がありました。
私が知っているなかでひどい監督交代の歴史を紹介します。
94~2004の監督
2004年からのサポーター歴の私は、古い方にはあまり知りませんが、この中から二人記憶に残る監督がいます!その中にはひどい監督交代もありました。
これの繰り返しが、サンガのこのあとの歴史を作り替えたのかもしれません。
まずはある意味今のサンガを創り出した方と言っても良い位の方です。
まずは一人目!天皇杯を獲得したゲルト・エンゲルス。
ゲルト・エンゲルス
2000年セカンドステージから采配。その年は、J2降格してしまうものの2002年松井大輔やパクチソンを擁して天皇杯を獲得した。しかも年間リーグでも5位になる。翌年開幕ダッシュに失敗し解任。しかし若手を起用して躍動的なサッカーを展開した。ただ、けが人が増えた事で連敗しただけでひどい解任してしまう事が、サンガをひどい解任の歴史に陥らす事を物語る!
我慢出来ず、解任して違約金を支払う事になり高額な資金を流出していく。そして良い選手を獲得する予算がなくなり悪い循環になるゲルトさん自体はこの後あちこちコーチを務めたりして日本サッカーと関わりは深い。まだまだ徳島でヘッドコーチをするくらいです
若手を起用して躍動的なサッカーを展開した功績は、大きい。
柱谷幸一
柱谷監督はこの方も2004年途中交代の形で、西村監督からうけつぎ指揮を取りました。
同年はJ2で5位になってしまいますが、若手の育成を目的とした産学協調のスカラーアスリートプロジェクトを京セラ・立命館・サンガでサッカーと学業の両立を目的とした素晴らしいプロジェクトを始めます!このお陰で、ガンバを始めとした周辺のJクラブへの若い才能の流出も減り若い才能がここから開花することとなりました。今ではオリンピック選手の川﨑颯太もこのプロジェクトの出身です。戦績は2005年J2各チームから選手を引き抜きJ2オールスターと揶揄されるチームとなり、守備を固めてFWのパウリーニョとアレモンの強力2トップで勝利を重ね優勝してJ1復帰となりました。唯人材としてはJ1で互角に渡り合える選手はすくなく20%の底上げが必要と開幕前から監督が公言していた程実力差があり、色々戦術も迷走して勝ちに至らず降格してしまいます。これは、J1昇格の為に個人の能力の高い選手を集めた為にJ1で通用する戦術と能力の高い選手が集められずj2では通用したカウンターも通用せずに1年での降格となり、柱谷監督も解任となり、違約金を払う事になります。この頃からエレベーターとの異名がついてしまいます。(とほほ)
加藤久
2007-2010途中まで指揮を執る。入れ替え戦では広島を破り、J1昇格を果たしたもののこの頃選手の入れ替わりも多く、元代表選手も多く在籍していた。柳沢敦、秋田豊、森岡隆三が在籍していた。ただ、2010は主力に怪我が重なり降格してしまう。連敗が続き加藤久から秋田豊に監督交代するも効果無し。この時は、今以上に個人頼みで、良い戦術は無くて研究されて勝てなくなり遂にここから長い間J2生活になる。
まとめ
天皇杯獲得や年間上位になったものの、この頃はまだ本当の安定した実力はなかったのかもしれません。皆頑張っていましたが、まだまだ足りないところがありました。
しかしながら、何とかJ1に定着しようと頑張っていたものの個人の能力に頼る補強だったり戦力に見合った戦術ではなかったと思います。
この後の暗黒時代は次の機会に。
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