京都サンガの栄光と波乱やばい歴史
京都サンガは京都にあるJリーグのチームです私は2004年からサポーターをしてゴール裏から声を出してチームを後押ししてきました。そんなサポーターの私(もうおじさん)から見たやばい歴史や意外な選手も在籍していたので、まずはそのあたりから書いていきたいと思います。

京都サンガF.C.の挑戦の歴史:栄光と苦難を超えて
その後、JSL・JFLをへて1993年に京都パープルサンガへ改称し、1996年にJリーグに加盟しました。その長い歴史の中で、数々の栄光と多くの苦難を京都サンガは経験してきました。天皇杯優勝や天皇杯準優勝といった輝かしい実績がある一方で、J2降格や経営破綻危機といった苦難も乗り越えてきました。
2024年現在、京都サンガはJ1リーグに3年所属しています。クラブは常に上位を目指して戦い続けており、サポーターの熱い声援とともに歩んでいます。概略は以上となります。
ただ、Jリーグ以前と以後では大きく異なりますので、細かく年代を分けて見ていきましょう。
クラブの誕生と黎明期:1922年~1993年
京都サンガF.C.の物語は、1922年に「蹴球団」として始まりました。この小さなサッカーチームは、京都師範学校のOBたちによって設立され、地域のサッカー文化の基盤を築きました。一度は活動を停止しましたが、1937年に再発足し、サッカーの情熱を再燃させます。
1954年には「京都紫光クラブ」と改称し、アマチュアクラブとして地域リーグを中心に活動を続けました。特に注目すべきは、1973年の全国社会人サッカー選手権大会での優勝。この勝利は、クラブが日本サッカーリーグ(JSL)の舞台へ進出する扉を開いた瞬間でした。1974年にJSL2部昇格を果たし、その後も努力を重ねる中で、1989年にはJSL1部昇格を成し遂げます。しかし、1991年にJSL2部へ降格し、再び試練を迎えました。
1993年にはクラブが「教育研究社FC京都パープルサンガ」として新たなスタートを切ります。地域に根差しながら、全国的な舞台への道を模索したこの時代は、プロクラブとしての基盤作りの重要な一歩でした。
ここから大きくJリーグへと向かいます!
プロ化への道とJリーグ参戦:1996年~現在
この時代は今迄から大きく変わらずアマチュアチームとしての活動から抜け出せず1993年の京都パープルサンガと名称変更してようやく第一歩が踏み出せた感じです。 そこで京都にプロスポーツチームを望む市民に応える形で京都の財界でも有名な稲森和夫氏が動きを見せ、1994年から地域貢献の一環で京セラがメインスポンサーとなり力を入れて来ました。ここまでの歴史で、私が覚えているのは、京都にJリーグを目指すチームが出来ると知って興奮してました。 93年にJリーグが10チームで発足し当時のチームではガンバ大阪くらいしか関西のチームはなくてなかなか見に行けなかったのですが、まだ民放でも夜中に放送していました。隣の滋賀県民ですが、仕事で中々実際に見に行ってはおらず新聞記事でチェックするくらいでした。でも、勝敗を知るだけでも興奮していましたし、いつか見に行きたいなと思っていました。詳しい歴史は、京都サンガF.C.は、1996年に「京都パープルサンガ」としてJリーグに加盟したこの出来事はクラブにとって、プロクラブとしての新時代の始まりを告げるものでした。その後、1999年迄下位ながら頑張っていましたがついに2000年にJ2に降格してしまいます。翌年2001年1位でJ2リーグを勝ち抜き、昇格を果たし翌年の2002年なんと遂に天皇杯優勝を果たします。これは96年のJリーグ加盟以降初期の頃は選手層が薄く、上位の順位に食い込むことが難しい状況でしたが耐え抜き又、有名選手が来るものの峠を過ぎていた選手がいたのも事実でした。しかし、この天皇杯でクラブ史上初のメジャータイトルをもたらしたことは大きく、京都では号外が出たぐらい注目された事でした!しかしながらこの後も苦難は続きますが、ひとまずこの勝利はクラブにとって大きな転機となり、その後も多くの名選手が在籍しました。この頃のサンガは松井大輔・パク・チソン・黒部光昭を中心に若い力で躍動感に溢れたチームでした。のちに韓国の英雄と呼ばれるパクチソンや日本代表に選出され南アフリカ大会で大活躍する松井大輔が中心となり始めた時代です。リーグ戦も年間5位となりこの順位がクラブの歴史の中で今でも最高順位になっています。
彼らの存在はチームにとって非常に大きな力となり、ファンからも熱烈な支持を受けました。近年では、ユース育成にも力を入れており、若手選手の台頭が目立っています。これにより、将来有望な選手が次々と生まれ、チームの競争力が向上して来ました。地域の支援やサポーターの熱い声援に支えられ、困難を乗り越えてきました。クラブはその都度新たな挑戦に挑み、現在、京都サンガはJ1リーグでの順位争いを繰り広げています。J1残留から定着を目指し、チーム全体が一丸となって戦っています。ファンやサポーターの熱い応援が、選手たちの大きな力となっています。京都サンガの歴史と伝統は、今後も多くの人々に愛され続けることでしょう。
その後幾度となく降格昇格を繰り返していましたが、2010年17位でJ2リーグに降格すると、2021年のJ2リーグ2位で昇格するまでJ2にい続けてしまいます。何度となくプレーオフのチャンスのありましたが、勝ち抜けませんでした。2021年新監督として京都府出身のチョウ・キジェ監督になり、強度の高い戦術を取り入れ漸くJ1復帰を果たします。2024年現在ではJ1リーグに所属し、上位争いに挑戦しています。クラブの進化は戦術面でも顕著であり、近年では若手選手の活躍が特に目を引きます。特に育成プログラムの充実や、新しい戦略の導入は、未来の成功への布石となっています。

次にスタジアムやマスコット・エンブレムはどうなっているでしょうか
本拠地とスタジアム・マスコット・エンブレムは?
チームの本拠地は京都市を拠点とし、現在では京都府北部まで拡大し、地域社会との結びつきを大切にしながら発展してきました。特に、ホームスタジアムである「西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場」は、多くのサポーターに愛される場所となっています。
ここではいろんな事がありました。個人的にも故稲盛会長をよく見かけました。
現在は紆余曲折あったスタジアム問題の末亀岡市に移り、サンガスタジアムbyKYOCERAを主戦場にして戦っています。ここではサポーターとの一体感を大切にしています。スタジアムは最新の設備を備え、観客に快適な観戦環境を提供しています。Jリーグの試合が定期的に開催される重要なスポットであり、サッカーファンにとっては必見の場所です。このスタジアムは最新の設備を誇り、観客席からの視界も非常に良好です。特に「照明設備」や大型スクリーンが完備されているため、試合の臨場感が一層高まります。
また、アクセスの良さも魅力の一つです。京都駅から嵯峨野線で20分ほどで、阪急桂駅から直通バスが運行されており、遠方からの観戦者でもスムーズにスタジアムへ到着できます。スタジアム周辺には多くの飲食店やショッピングエリアがあり、試合前後の時間を有意義に過ごすことができます。これにより、試合観戦のみならず、スタジアム全体がエンターテインメントの場として楽しめるのです。
京都サンガFCの試合が行われるサンガスタジアムbyKYOCERAは、Jリーグのファンにとって欠かせない場所です。最新設備と良好な視界、充実した周辺施設が揃っているため、訪れる価値があります。試合観戦が一層楽しめる環境が整っているため、初めて訪れる方でも満足できるでしょう。
さらに、スタジアムの魅力は試合観戦だけにとどまりません。周辺の飲食店やショッピングエリアも充実しているため、試合前後の時間を有意義に過ごすことができます。これにより、サンガスタジアムbyKYOCERAは単なるスポーツ施設ではなく、総合的なエンターテインメントスポットとして、多くの人々に愛されています。京都サンガFCのファンにとって、ここは特別な場所であり、何度も訪れたくなる魅力があります。
京都市を離れ亀岡市に移った今となってはより大きく京都を代表するスポーツチームとして京都市ブランドから離れた京都サンガの歴史は、地域貢献とともに成長してきたクラブの象徴と言えるでしょう。

スタグルも美味しい!!
京都サンガのユニフォームカラーは紫で、これは京都の伝統色を象徴しています。このカラーはクラブのアイデンティティを強く表現し、サポーターにも深く愛されています。さらに、クラブは育成部門にも力を入れており、多くの若手選手がトップチームで活躍しています。育成の充実はクラブの未来を支える重要な要素であり、地域のサッカー文化の発展にも寄与しています。育成部門は「スカラーアスリートプロジェクト」というプロジェクトを立命館とスポンサーである京セラと京都サンガが連携してサッカープロアスリートの育成プロジェクトでサイトによると「スポーツの素晴らしさと学業の素晴らしさの相乗効果でひとつの人格をより豊かに形成し、これから未来へとはばたく選手たちの可能性を広げます。」とあります。ここから旅立ち今回のパリオリンピックにも代表に選ばれています。この育成システムはクラブの誇りでもあり本当にサンガしかできないことではないでしょうか。
又リーグでの成功を目指して、明確な「ミッション」と「ビジョン」を掲げています。
ミッションは、地域社会に根ざし、ファンやサポーターと共に成長することです。具体的には、地元の子供たちにサッカーの楽しさを伝え、次世代の選手を育成することが含まれます。一方、ビジョンは、Jリーグでのトップクラブになることです。これには、競技力の向上だけでなく、クラブ運営の透明性や地域貢献活動の充実も重要な要素です。京都サンガは、これらの目標を達成するために、選手やスタッフ一丸となって努力しています。
さらに詳しく説明すると、京都サンガは地域社会との結びつきを非常に重視しています。地元の子供たちにサッカーの楽しさを伝えるために、サッカースクールやクリニックを定期的に開催しています。これにより、将来のスター選手を発掘し、育成する基盤を築いています。また、地域のイベントやボランティア活動にも積極的に参加し、地域住民とのつながりを深めています。
地域貢献活動の一環として、京都サンガは地元の学校や病院を訪問し、サッカー教室や講演会を開催しています。これにより、地域の子供たちに夢を与え、サッカーを通じて健全な心身の育成をサポートしています。クラブの選手やスタッフも積極的に参加し、地域社会に対する感謝の気持ちを示しています。
京都サンガが掲げるビジョンである「Jリーグでのトップクラブになること」は、単なる夢ではありません。クラブは具体的な目標と計画を持ち、それに向かって着実に歩みを進めています。例えば、若手選手の育成に力を入れ、将来のスター選手を輩出することを目指しています。これにより、クラブの競技力を高めるだけでなく、地域全体のサッカーレベル向上にも寄与しています。
京都サンガは、Jリーグでの成功を目指し、ミッションとビジョンを明確に持ちながら、地域社会と共に成長しています。ファンやサポーターの支えを受けながら、選手やスタッフ一丸となって努力を続けています。
エンブレム
京都サンガのエンブレムは、クラブの「歴史」と伝統を象徴する重要な要素です。このエンブレムには、京都の象徴的な鳳凰が描かれており、その下にはクラブの創設年である1922年がしっかりと記されています。このデザインは、京都サンガの長い歴史と地域社会との深い結びつきを視覚的に表現しています。エンブレムを見るだけで、クラブの誇りと伝統が感じられます。
マスコットキャラクター
さらに、クラブマスコットの「パーサくん」も紹介しましょう。パーサくんは、京都の伝統的な「不死鳥である鳳凰」をモチーフにしたキャラクターで、その親しみやすいデザインが特徴です。試合の日には、スタジアムでファンと触れ合い、特に子供たちに大人気です。パーサくんは、クラブの「歴史」と共に、未来への希望を象徴する存在でもあります。彼の存在は、クラブの歴史を次世代に伝える役割も果たしています。

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