2004年から20年・サンガゴール裏の応援スタイルはどう変わったか

サンガ応援スタイル完全ガイド

2004年に初めてゴール裏に立ったとき、正直なところ、まわりの声についていけませんでした。

チャントの言葉が聞き取れない。どのタイミングで声を出すのかわからない。タオルマフラーをいつ振るのかもわからないまま、ただ周囲の熱量に飲み込まれていました。それがいまでは、チャントの始まりを1秒前に察知できるようになっています。

この記事では、2004年から20年以上サンガのゴール裏に通い続けてきた私が、応援スタイルの「変化」を正直に書きます。チャントの変遷、スタジアムが変わって何が変わったか、記憶に残っているゴール裏の場面。同じクラブを同じ場所で応援し続けた人間にしか書けないことを中心に記録します。

2004年・西京極競技場のゴール裏|応援の原風景

私がサンガのゴール裏に初めて入ったのは2004年、西京極陸上競技場(現・たけびしスタジアム京都)のころです。

陸上競技場兼用のグラウンドだったため、ゴール裏からピッチまでの距離がありました。選手の表情は見えない。声を出しても、空間が広すぎて音が拡散していく感覚がありました。それでも、ゴール裏に集まった人たちの声量と熱量は本物でした。

当時使われていたチャントは、いま使われているものとかなり違います。使われなくなった曲があります。曲名を覚えているもの、メロディは残っているが歌詞が変わったもの、完全に新しくなったもの——20年のあいだに、応援の「レパートリー」は入れ替わり続けてきました。古いサポーターだけが知っているチャントというものが確実に存在します。

新しいチャントが生まれ、広がっていく過程

新しいチャントがゴール裏に定着するまでの過程を、何度も見てきました。

最初は数人が試みます。コールリーダーの先導のもとコアなサポーターが声を出し始めて、周囲が反応するかどうかを確かめるような時間があります。最初は声がバラつく。でも数試合のうちにだんだん揃ってくる。気づいたらスタンド全体で歌っている——この過程を繰り返しながら、ゴール裏のレパートリーは更新されてきました。最近は事前にyoutubeで勉強してサポ連から歌詞リストをもらって新しいシーズンに臨んでいます。

逆に、いつの間にか聞かなくなったチャントもあります。特に理由が発表されるわけではなく、ある時期から自然に使われなくなる。それがゴール裏の「生き物のような」変化の仕方です。20年通い続けていると、その積み重なりがわかります。

サンガスタジアム開場(2020年)でチャントの「聞こえ方」が変わった

2020年にサンガスタジアム by KYOCERAが開場したとき、ゴール裏の体感は大きく変わりました。

最も大きな変化は音の聞こえ方です。西京極では声が空に逃げていく感覚がありました。屋根がなく、陸上トラックの分だけピッチとの距離があった。サンガスタジアムになって、庇が大きく張り出した屋根が客席のほぼ全域をカバーするようになると、声がスタジアム内に閉じ込められるようになりました。チャントが屋根に当たって戻ってくる。自分たちの声が反響して返ってくる感覚は、応援の「手応え」をまったく変えました。

一級建築士として見ると、この変化は屋根の形状が意図的に作り出したものです。大きく張り出した庇は雨除けとして機能するだけでなく、音を反射させてスタジアム内に閉じ込める音響効果もあります。西京極とサンガスタジアムでは、同じ人数・同じ声量でも、聞こえ方がまったく違います。

もうひとつの変化はピッチとの距離感です。陸上トラックがなくなり、ゴール裏からピッチエッジまでの距離が一気に縮まりました。GKへの声かけが届く感覚があります。選手が明確に「的」として見える距離になったことで、応援の向かう先がより具体的になりました。

記憶に残っているゴール裏の場面

2021年・J1昇格を決めた試合

あのゴール裏の空気は、普段とまったく違いました。千葉のアウェイスタジアムでしたが、今日は何かが起きるんじゃないかという雰囲気似包まれていました。

昇格が決まる試合というのは、試合前からゴール裏の雰囲気が変わっています。いつもより声が揃う。チャントの始まりが早い。「今日のゴール裏はまとまっている」という感覚が入場してすぐにわかりました。試合が終わった瞬間の、あの時間の止まるような感覚は、20年通い続けてきた中でも特別な体験でした。

残留争いの試合|苦しいときのゴール裏

勝ちそうな試合で声を出すことは比較的容易です。苦しい試合のゴール裏こそ、応援という行為の本質が出ます。

残留がかかった試合、例えば後半を0対2で折り返したような試合。そういうときのゴール裏の声は、選手に届けるというより、自分たちが崩れないための声になっています。チャントを続けることで、ゴール裏の人間が一つにまとまろうとしている。選手を鼓舞し続けて後押しし、後1歩をサポートするその感覚を、残留争いの試合で何度か体験してきました。

西京極最終戦|スタジアムとともに終わった時間

西京極での最後の試合のゴール裏も記憶に残っています。サンガスタジアムへの移転が決まっていた時期の最終戦は、試合の結果とは別の感情がゴール裏にありました。長く通い続けた場所への感情と、新しいスタジアムへの期待が混在していた。あの雰囲気は、あの日だけのものでした。

20年で変わったこと・変わらないこと

変わったこと

チャントのレパートリーは入れ替わり続けています。スタジアムが変わり、声の響き方が根本的に変わりました。西京極で声を出していた感覚と、サンガスタジアムで声を出す感覚は別物です。同じ人間が同じ声量で出しても、返ってくる響きがまったく違う。

変わらないこと

ゴール裏に集まる人たちの根本は変わっていません。チームを勝たせたいという気持ちで声を出す。それだけです。チャントが変わっても、スタジアムが変わっても、その動機は20年間同じです。

初めてゴール裏に来た人が最初に感じる戸惑い——チャントについていけない、どこで声を出すかわからない——も変わっていません。20年前の私と同じ表情をしている人を、今でもゴール裏で見かけます。

ゴール裏の応援に初めて参加する方へ

チャントを覚えてから来る必要はありません。最初はついていけなくて当然です。周囲の動きを見ながら、できる範囲で声を出す。それだけで十分です。20年経ったいまでも、知らないチャントが始まることがあります。

立ちっぱなしで体力が必要なのは本当のことです。声を出せないときは手拍子だけでもいい。ゴール裏は全力で参加し続ける人だけのための場所ではありません。

ただ、一度あの空間の中心で全力で声を出した体験をすると、なかなか離れられなくなります。それが20年続いている理由です。

まとめ

サンガのゴール裏の応援スタイルは、20年のあいだに少しずつ変化してきました。スタジアムが変わり、チャントが変わり、声の響き方が変わりました。J1昇格を決めた夜、残留争いの後半、西京極の最終戦——それぞれのゴール裏に、それぞれの空気がありました。

それでも、試合のたびにゴール裏に集まって声を出すという行為の意味は変わっていません。2004年に初めて立ったあの場所で、今日もまた声を出しています。

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